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oul’s blog

主に読んだ本や漫画、見た映画の感想、その他雑記を書いていきます。

『五分後の世界』感想

村上龍『五分後の世界』の感想です。 著者自身が「最高傑作」と評しているとあって、以前から気になっていたのですが、このたびついに読むことができたので感想を書きたいと思います。

五分後の世界 (幻冬舎文庫)

五分後の世界 (幻冬舎文庫)

あらすじ

箱根でジョギングをしていたはずの小田桐はふと気がつくと、どこだか解らない場所を集団で行進していた。そこは5分のずれで現れた『もう一つの日本』だった。『もう一つの日本』は地下に建設され、人口はたった26万人に激減していたが、第二次世界大戦終結後も民族の誇りを失わず、駐留している連合国軍を相手にゲリラ戦を繰り広げていた……。 (Wikipediaより

パラレルワールドに迷い込む」 + 「ディストピアもの」と言えるでしょうか。

以下、ネタバレを含む感想となりますので、未読の方はご注意ください。

感想

正直なところを言えば、よく分からなかったというが素直な感想です。
最初に文庫本を手に取ったとき、思ったよりもページ数が少なかった(300ペーじくらい?)ので、すぐに読み終わるかなと思っていたんですが、そんなことはありませんでした。

というのも一段落がやたら長いんです。改行なしで10ページ以上描写が続くシーンもあって、本当に文字が詰め込まれているんです。
しかも本来、句点で区切ってもよさそうな文章を、ぜんぶ読点で繋げたような文章が大量にあるんです。 途中、『失われた時を求めて』を読んでいるかと錯覚するくらい、とにかくワンシーンがひと息で書かれているんですね(『失われた時を求めて』の方は途中で挫折して読みきれていないんですが)。

自分はどうにもこういう詰め込まれた文字というのが苦手です 1
なので、なんで改行しないんだよと思いながら苦しみつつ読み終わったのですが、巻末の解説を読むに、どうやらこの長大な一続きの描写は意図してのことだったようです。
以下、その理由の説明です。


作中では、現代日本と対比するように、『もう一つの日本』における兵士たちの姿が描かれます。

だが、さっきの兵士の身のこなし、移動の異常なスピードは、視界が悪いということだけでは説明がつかなかった。兵士の身のこなしとそのスピードがあまりにも見事だったために、なぜ自分たちは無言で歩かされていて少しでも立ち止まったりすると殴られるのか、そもそもここはどこで、自分はなぜここにいるのか、というような疑問を少しの間忘れた。

オリンピックに出ればすごい記録を出すであろう身体能力を兵士たちは身につけています。
また小田桐が辿りついたアンダーグラウンドで、そこに住む老人や子供たちのモラルの高さも描かれます。

ごくまれに、学年に一人いるかどうかという割合で、まったく別のタイプがいた、放っといても勉強ができて、足が速く、不良のグループにも平気でおはようと声をかけてくるような奴だ、先生に食ってかかることもあるし、冗談もうまい、そういう奴は手に負えなかった、(中略)こいつらは、と小田桐は次の発着スペースで降りていった生徒たちを見て思った。全員、その手に負えないタイプなのだ。


 おしゃれな人だよね、
「あの人は東北戦争を戦った有名な軍人ですよ」  どうしておしゃれなどと言うのかわからない、という口調だった。
(中略)
……でも、私たちは皆きちんとした服装をするのが好きなの、おしゃれということではないのよ、ここはいつも世界乳から注目されているから、きちんとした格好をしていなくては」
 それが本当のおしゃれってことなんだよ、言いたかったが止めた。

このように、『もう一つの日本』に住む人間たちは、ほぼ完璧な肉体と精神を形成していると言えますが、それは過酷な生存競争の中で培われたものでした。

「死なないようにとそれだけを考える、つまり生きのびることだけを考える、それがどういうことかわかるかね?」
 小田桐はまた、わかりません、と首を振って、お茶を一口飲んだ。
「それがゲリラの本質だ」

彼らは戦争に敗北し、民族消失の危機に陥っているからこそ、ゲリラとして戦争をしているからこそ、高い能力と倫理観を維持することができているのです。

巻末の解説によれば、冒頭で述べた長大な一続きの文章は、『もう一つの日本』の住人が経験していることを、読者に追体験させるための仕掛けとして機能しているようです。

なぜなら、生き延びることだけを考える「ゲリラの本質」さながら、ひたすら読まれ続けるためにのみ書き伸ばされようとするこの戦闘描写には原則として終わりがなく、その終わりのなさのなかで、反復はたえず、新たなものを作り出そうとしているからだ。改心とは、新たなものになることの倫理にほかならない。そして、このとき最も重要なことは、理想的なものに向けての主人公のその改心が、執拗なまでに即物的なこの描写を読みたどる読者との一種濃密な教頭において成就されようとする点なのだ。つまり、読みながら、我々もまた新たなものになってくるのである。

つまり、終わりなき一続きの文章を読まされることで、読者自身が「ゲリラ」となって生き延びる意思を持つようになることを狙っていた、ということでしょうか。
戦闘描写を読みながら眠くなった自分にとっては、つまりこの仕掛けが上手く作用しなかったということなのでしょう。
もしくは自分はこの小説内で批判されている、まさにその対象であったと、そういうことなのかもしれません。

敵にもわかるやり方で、世界中が理解できる方法と言語と表現で、われわれの勇気とプライドを示しつづけること、それが次の時代を生きるみなさんの役目です

作中に登場する音楽家ワカマツ、広場で踊るダンサーの少女、英語を流暢に話すアンダーグラウンドの住民たちが体現するこの標語。
とても力強く気高いのですが、そこから零れ落ちるものもあるんじゃないのかなとも思うのです。


  1. 実際『五分後の世界』を読んでいる途中で2回ほど寝落ちしてしまいましたし。睡眠導入としては良いのかも。なんて書くとファンの方に怒られそうですが……。

『魔王』感想

伊坂幸太郎さんの小説『魔王』の感想です。

魔王 (講談社文庫)

魔王 (講談社文庫)

本当は、恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』を探したついでに買った一冊なのですが、なぜか異様に目についたのです。
そのときは理由がよく分からなかったのですが、読み終わってから納得しました。
この小説は、書かれたのが十年以上前にも関わらず、まさに『今』を表している小説だったからです。

以下、作品のネタバレを含む感想となりますので、未読の方はご注意ください。

この小説には、兄・安藤の視点から描かれた『魔王』と、弟・潤也を主役に据えて五年後を描いた『呼吸』の二作品が収められています。
『魔王』では、自分が念じた言葉を他人に言わせることができる能力を得た主人公の安藤が、ファシズムに向かって突き進んでいるように見える世間に抵抗するため、その機運の中心にいる政治家・犬養に接近していく物語が描かれます。
『呼吸』では、安藤がいなくなった五年後、首相に犬養を据えて憲法改正国民投票が行われる世の中で、異様に運が良くなる能力を身につけた潤也の日常が語られます。

これらのお話の中で描かれる日本の姿・状況は、十年前に書かれたにも関わらず、極めて正確に現在の世の中を反映していると感じました。
巻末の解説(2008年)でも「その後の政治状況を彷彿させる、もしくは予言しているかのように見える部分がいくつもある」と書かれていますが、状況はより進行しているのではないでしょうか。
作中では、傲慢なアメリカや横暴な中国の脅威を背景に、それらに毅然と立ち向かうリーダーが求められており、「いくつかの銃の先をたばねてたて」られた人間たちが大きな流れを形作って(むしろ流されて?)います。
一方で普段は政治や国民投票に関心を払っていても、個人の問題が立ち上がってくると、大きな問題を考えられなくなってしまう人間の性も描かれています。
現実に何が対応しているかを書くと色々差し障りがありそうなので書きませんが、思い当たる節がいくつもあります。

『魔王』内では、じゃあその状況に対してどうしたらいいのという、直接の答えは提示されてはいませんでした。提示していないものの、状況によらない何か芯のようなものを示唆しているように感じました。
例えば、作中ラストに登場する「でも、クラレッタのスカートを直すのは、お金ではないような気がする。お金じゃなくて、勇気かも」というセリフは何かのヒントに感じます。
ただ、このセリフもすぐ後に相対化されてしまいます。
「俺は、勇気すらお金で買えるんじゃないかって思うんだ」

この『魔王』において、伊坂さんの物語の描き方はとても中立的です。
あとがきでも書かれているように、作中に出てくるファシズム憲法、国民盗聴に関する、特定のメッセージや主張をしているわけではありません。 実際、作中ではどちらの考え方も描写され、そのメリットと孕み得る危うさについて描写されており、どちらが正しいとも判断がつきません。 ただ、訳も分からず進行していく事態の不穏さだけが残っています。

こういう場合にありがちな解答としてはよく「考え続けるんだ」というものがあります。
しかし、『魔王』で語られるのはそういうことでもありません。
兄は「考えろ考えろマクガイバー」と思考を深めていきますが、弟は「考えない、考えない」と直感を信じていきます。 お互いがお互いの結末を迎え、そしてどちらも「魔王」になる可能性が示唆されています。 そうすると結局、解決策としてはすべてを相対化していくしかないのかとも思うのですが、それは何もしていないのとどう違うのかとも思うわけで。
この判断のつかなさが、むしろ判断がつかないからこそ、この『魔王』で取り上げられている題材が「今」ある問題たり得る所以なのかもしれません。
いったい「魔王」は誰かなのか、安藤か、潤也か、犬養か、それとも民衆か、それはきっと過ぎ去ってから振り返ってみないと分からないことなのでしょう。

『天賀井さんは案外ふつう』1〜3巻 感想

前置き

 どうも4巻完結らしいが、なぜこのタイミングで感想を書くかというと、3巻発売のタイミングでこのマンガの存在を知ったからです。

 現在刊行中の城平京原作のマンガは『虚構推理』のみだと(勝手に)思っていたので、もう一つ別のマンガ原作(しかもタイトルから日常系っぽい印象)を手がけているとは思ってませんでした。

 調べてみると、作画を担当しているのは水野英多さんらしい、と。つまり、あの『スパイラル』のコンビが復活しているということです。『スパイラル』は自分にとって、ある種バイブルみたいなもので、未だにあのラストを超える結末を描くことに成功した作品はないんじゃないかと思うくらい、自分の中では完璧な作品なので、即買いでした。いっさい内容を確認せずに買ったと言っても過言ではありません(ぶっちゃけこのコンビの作品ならたとえ面白くなくても買うし)。

 結果から言えばとても満足度の高い作品でした。以下ではその感想を書いていきます。ネタバレを含みますので未読の方は注意してください。

全体の感想

 1巻では主に謎の提示、すなわち

  • 十年前、天賀井さんの兄と真木くんに何が起こったか
  • なぜ常伊市に二匹の化け物の体の一部が残されているのか
  • なぜ郷土史維持管理部が化け物の遺体を管理する役目を負っているのか などが提示されます。

 随分と設定盛りだくさんな内容(代々伝わる任務を負った異能の家系、十年間時間の止まった少年、二匹の化け物を祀る都市、その遺体を維持管理する謎の部活、ロボな兄、運命信仰の両親……)にも関わらず、一話で一つ謎の提示というシンプルな構成のおかげで、特に混乱することもなく読み進めることができました。  

 2巻はミステリで言うところの推理パートでしょうか。

  • 化け物の遺体の状態が良い理由
  • 西陣先生が離婚した理由
  • 真木くんが異様に冷静な理由(の一端)

が語られ、

  • 十年前何があったか
  • バランバランとタタイタタイの遺体が残された理由

が主にロボ兄によって推理されます(どうでも良いですが、メカな兄というとアニメ化→兄メカというハガレンの四コマを思い出します)。

 結局、バランバランとタタイタタイの遺物が幸福や御利益をもたらすというのは、ただの思い込み、集団心理による暗示効果が原因という結論に至るわけですが、城平さんの作品だとこの手のいわゆる物語自体が孕む問題を扱ったものが多い気がします(というかほぼ全部ではないでしょうか)。

 『スパイラル』ではヤイバと清隆が語った神と悪魔のファンタジー、『絶園のテンペスト』でははじまりの樹という神話、そして『虚構推理』ではそもそも主人公サイドが偽物の解決=虚構を構築して事件の解決していました。

 おそらく、城平京の作家性に関わるテーマだと思うんですが、そのうちきちんと考察したいところです。

 3巻はいわゆる解決編ですね。

 巻末のあとがきで「特にコメディをやろうとしたつもりです」と書かれているように、これまで提示されてきた謎の真相がすごい軽いテンションで暴かれていきます。一応人が(少なくとも外見上は)死んでいたり、真木くんの出生の秘密が明らかになったり、異世界の存亡の危機があったりと、どれも重いエピソードのはずなんですが、まったくと言っていいほど悲壮感がありません。

 十年を費やして辿りついた真相がこれだと登場人物たちが気を落としそうですが、全員どこかネジが外れているので、特に誰も大きく気にはしていません(そしてそんな特にショックも受けずに淡々と進んでいく会話が好きだったりするのです)。

 城平さんのあとがきを読む限り、この3巻は当初予定していた構想とは若干ずれた内容になっている模様です。是非とも真実を明らかにしないバージョン読んでみたかったですが、これくらい説明してくれないと絶対消化不良感が残ったよな、とも思うわけで、(本当のところどのような見込み違いがあったのかは分かりませんが)難しかったろうなと思います。

4巻

 4巻はどうなるんでしょうか。

 ミステリ的には解決編が終われば物語としてもほぼ終了ですが、どうやらあと一巻出て、それで完結らしいです。内容的には真木くんが身辺整理をするくらいしか残っていないような気がするんですが、あまり予想ができないので楽しみに待たせていただきます。

 以下、個別の要素についての感想になります。

天賀井さんが可愛い

 まあ、結局これですよね。スパイラルのひよの、虚構推理の琴子、絶園のテンペストの葉風が好きな身としては、城平さんの作るちょっとずれた可愛い系ヒロインを読みたいがために買っているというところがあるので……。

 巻を経るごとにちょっとずつやさぐれ度が上がっているところがまた良いです。最初は丁寧系で内面のつぶやきでも「真木くん」呼びだったのが、だんだんとこいつとかお前呼びが増えて内面の呆れ描写が増えていったのがツボでした。なんというか、『未確認で進行形』の小紅が身内以外に使用する口調に近いです(あれがまた私のツボでした)。

 天賀井さんの能力(骨を出して操ることができる)があまり生かされていなかったのが少し残念でした。4巻ではもっと能力の活躍の場があると期待したいです。

まどかお姉さん系キャラがやはりいた

 まず、城平京原作の作品に共通する要素として、

  • 妙に達観した男主人公(歩、史郎、九郎、吉野)
  • かわいい系ヒロイン(ひよの、伊万里、琴子、葉風)
  • クール美人系の女性キャラクター(まどかお姉さん、雪音、紗季さん、愛花)

が挙げられます(葉風と愛花に関してはハイブリッドな気もしますが、ここは便宜的に)。

表紙にはヒロインである天賀井さんと主人公(に相当するポジション)の真木くんがいるので、きっと三人目のクール美人系キャラが登場するんだろうとタカをくくっていたら、居ましたよ、西陣先生。本当に城平さん、この黄金比率好きですよね。

 個人的には、やっぱりいたという安心感でなぜか嬉しくなりました。

あとがきのクマ

 なぜか水野さんの後書き漫画で、クマの絵を見たときにすごく懐かしくなりました(うみねこは読んでないからなぁ……)。

まとめ

 その他にも色々ありますが、さすがに3巻分の内容ともなると書き出すとキリがないので、ここらで一旦閉めます。また何か思いついたら書き足すかもしれません。

 4巻が出たらまた感想を書きたいと思うので、よろしくお願いします。