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oul’s blog

主に読んだ本や漫画、見た映画の感想、その他雑記を書いていきます。

『魔王』感想

伊坂幸太郎さんの小説『魔王』の感想です。

魔王 (講談社文庫)

魔王 (講談社文庫)

本当は、恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』を探したついでに買った一冊なのですが、なぜか異様に目についたのです。
そのときは理由がよく分からなかったのですが、読み終わってから納得しました。
この小説は、書かれたのが十年以上前にも関わらず、まさに『今』を表している小説だったからです。

以下、作品のネタバレを含む感想となりますので、未読の方はご注意ください。

この小説には、兄・安藤の視点から描かれた『魔王』と、弟・潤也を主役に据えて五年後を描いた『呼吸』の二作品が収められています。
『魔王』では、自分が念じた言葉を他人に言わせることができる能力を得た主人公の安藤が、ファシズムに向かって突き進んでいるように見える世間に抵抗するため、その機運の中心にいる政治家・犬養に接近していく物語が描かれます。
『呼吸』では、安藤がいなくなった五年後、首相に犬養を据えて憲法改正国民投票が行われる世の中で、異様に運が良くなる能力を身につけた潤也の日常が語られます。

これらのお話の中で描かれる日本の姿・状況は、十年前に書かれたにも関わらず、極めて正確に現在の世の中を反映していると感じました。
巻末の解説(2008年)でも「その後の政治状況を彷彿させる、もしくは予言しているかのように見える部分がいくつもある」と書かれていますが、状況はより進行しているのではないでしょうか。
作中では、傲慢なアメリカや横暴な中国の脅威を背景に、それらに毅然と立ち向かうリーダーが求められており、「いくつかの銃の先をたばねてたて」られた人間たちが大きな流れを形作って(むしろ流されて?)います。
一方で普段は政治や国民投票に関心を払っていても、個人の問題が立ち上がってくると、大きな問題を考えられなくなってしまう人間の性も描かれています。
現実に何が対応しているかを書くと色々差し障りがありそうなので書きませんが、思い当たる節がいくつもあります。

『魔王』内では、じゃあその状況に対してどうしたらいいのという、直接の答えは提示されてはいませんでした。提示していないものの、状況によらない何か芯のようなものを示唆しているように感じました。
例えば、作中ラストに登場する「でも、クラレッタのスカートを直すのは、お金ではないような気がする。お金じゃなくて、勇気かも」というセリフは何かのヒントに感じます。
ただ、このセリフもすぐ後に相対化されてしまいます。
「俺は、勇気すらお金で買えるんじゃないかって思うんだ」

この『魔王』において、伊坂さんの物語の描き方はとても中立的です。
あとがきでも書かれているように、作中に出てくるファシズム憲法、国民盗聴に関する、特定のメッセージや主張をしているわけではありません。 実際、作中ではどちらの考え方も描写され、そのメリットと孕み得る危うさについて描写されており、どちらが正しいとも判断がつきません。 ただ、訳も分からず進行していく事態の不穏さだけが残っています。

こういう場合にありがちな解答としてはよく「考え続けるんだ」というものがあります。
しかし、『魔王』で語られるのはそういうことでもありません。
兄は「考えろ考えろマクガイバー」と思考を深めていきますが、弟は「考えない、考えない」と直感を信じていきます。 お互いがお互いの結末を迎え、そしてどちらも「魔王」になる可能性が示唆されています。 そうすると結局、解決策としてはすべてを相対化していくしかないのかとも思うのですが、それは何もしていないのとどう違うのかとも思うわけで。
この判断のつかなさが、むしろ判断がつかないからこそ、この『魔王』で取り上げられている題材が「今」ある問題たり得る所以なのかもしれません。
いったい「魔王」は誰かなのか、安藤か、潤也か、犬養か、それとも民衆か、それはきっと過ぎ去ってから振り返ってみないと分からないことなのでしょう。